バリキャリ系早稲女がメンヘラニートになった件

人生イージーモードだった、病気になるまでは。 うつ病との交際日記を中心に気まぐれ更新予定。

2014/05

こんにちは、あまえです。
メンヘラ化してから自分で引く位涙もろいので感動モノは極力避けてます。

心療内科デビューから2ヶ月、休職から1ヶ月が経ち、
「頑張らないことを頑張る」と決意したあまえ。
とはいえすぐに具体的に何かを変える事なんて出来ず、もやもやと過ごしていました。

そんな時、お気に入りの軽めな本でも読もうかな、と思い立ち、
何気なく本棚から引っ張り出した、吉本ばなな先生の『キッチン』
その新潮文庫版あとがき「そののちのこと」を、日記に引用しています。


 私の実感していた「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もし感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。多少の工夫で人は自分の思うように生きることができるに違いない」という信念を、日々苦しく切ない思いをしていることでいつしか乾燥してしまって、外部からのうるおいを求めている、そんな心を持つ人に届けたい。
(中略)
 どんな深い悲しみも、時間が経つと同じようには悲しくない。そういうことの美しさをぐっと字に焼きつけたい。
 
そうか。そういうことか。

私の病気や絶望と、この本の大きなテーマとは、違ってはいるけれど。

生きてさえいれば、自分の感受性の強さやこの耐えがたいきつさをうまく生かせば、
おもしろおかしく生きていくことも不可能ではないのかもしれません。
絶望が、時間を経たら同じように悲しくない事の美しさ、私は見られるかしら。

私がこの世でいちばん好きな本は『キッチン』だと思う。
主人公にとってのキッチンは、私にとってはきっとこの『キッチン』でした。
20140519_neet
この時ベッド以外で一番長い時間を過ごしていたのも、台所だったなあ。

人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、あまえです。
すり足移動が上手くなりました。普通に歩くと振動で頭が痛いので。

休職後初の演奏会で、生きててよかった、とやっと思ったあまえ。
それでもうつ病との交際がそう簡単に終わる訳ではありませんでした。
だからそう簡単に終わってたら今頃以下略

気圧が下がれば頭が痛い。身体が重くて布団から出られない。
やる気が起きないというよりも、何をやりたいのか思い浮かばない。
彼氏が読んだ本によると、半年1年かけてじっくり治していくもの、らしいけれど、
私はそんなに待てるのだろうか、会社はそんなに待ってくれるのだろうか。

期の変わり目になるため、また「傷病欠勤」期間終了の1ヶ月が経つため、
会社とメールのやり取りをしたり、社内システムにログインさせられたりしましたが、
その度に手が震え、涙が出て、酷い時は吐いて、悲しい気持ちになります。

所謂「休職」の為には、当然ながら医師の診断書が必要になりますが、
また「復帰する?」と言われるのでは、と恐怖を感じつつ病院へ向かいました。
とは言え恐怖の元をちゃんと解消すべく、カンペを作成します(こういうとこ几帳面)。

私がどういう状況なのか。出来ないこと、怖いもの、不安を感じるとどうなるか。
先生は本当はもう私が会社に行けると思っているのか。
治って会社に行ける、とはどういう状態の事なのか。
普通どれくらいで復帰するのか。リハビリやカウンセリングをした方が良いのか。等。

でも、返ってきた答えは、何ともあっさりしたものでした。
私はうつ病で、まだ休みが必要。リハビリもまだ早い。
カウンセリングもどうしても必要な段階ではない。


なんだか拍子抜けしてしまうあまえ。私は焦っていただけなのかな。
今やるべき事はちゃんとした療養だって、忘れかけていたのかもしれません。
もしくは、ちゃんとした療養がどういう事を、分かっていなかった。
20140517_neet
頑張らない事を頑張ろう、話はそれからだ。

人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、あまえです。
天気図と共に生きるあまえ、絶望的に具合が悪い日々が続いております。

物心つく前から一緒にいてくれた相棒に心救われたあまえは、
9月17日、腕を切って会社を休み始めてから、初めての本番を迎えます。

前日のステージリハーサルで自然と湧いた「たのしい」気持ち。
早く明日が来て欲しい、そう思ったのはいつぶりだったか分かりません。

いつも翌朝が来るのが怖かった、毎日がただ過ぎていくのが恐ろしかった。
休んでも大して良くならない病状とも、向き合っているのがつらかった。
だから、明日が来て欲しい、一瞬でもそう思えた事は奇跡の様でした。
ずっと生きている事に絶望していたけれど、今はもうそんな事言っていられない。

そして本番は、文字通り一瞬で終わってしまいます。
曲が、楽章が終わる度に、いやだもう終わってしまうの?と内心駄々をこねていました。

メインのプログラムであるブラームスの交響曲3番が終わり、カーテンコール。
2ndバイオリンの首席をやらせてもらっているあまえの所にも、
いつも通り順を追って、指揮者が握手に来てくれます。

「よく頑張ったね、本当に、よく頑張った」

握手際にそう言ってくれた指揮者の顔を、私はもう直視できませんでした。
何とかありがとうございましたとだけ言って、涙を堪えるしかありませんでした。
だって、人生で一番辛かった、何度も死にたいと、死んだ方が良いと思ったあまえが、
この日まで何とか生きて来れたのは、このオーケストラがあったから。

どんなに辛い展開が続いても、必ず和声は解決される。
それが何楽章続いても、沢山の要素が絡んでいても、1曲で解決できなくても。
私は頑張った。きっと私にも、解決の時が来る。
20140516_neet
ねえ、音楽の神様、そうでしょう? 私、生きててよかったです。

人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、あまえです。
ここのところ変な時間に堪え難い睡魔に襲われるため、夜眠れません。

さて、最近なかなかヘビーな内容が続いているので(一応闘病記だからね)、
今日はちょっとしたお役立ち情報をお届けしたいと思います。

前回の「正しい会社の休み方 - 傷病手当金編」では、
万が一病気やケガで会社を休まなきゃいけなくなっても、
経済的にサポートしてくれる素敵システムを簡単にご紹介しました。

とはいえ、傷病手当金の支給額はおよそ給料の2/3。
そして精神疾患の場合、通院は大体1週間~10日毎で、
1回あたりの診察と薬で3000~4000円は飛びます。地味に痛い。

そんな精神通院を助けてくれるのが「自立支援医療費制度」。
長期間の通院と投薬が必要となる精神疾患を支援する為の仕組みです。
正しい会社の休み方と書いちゃいましたが、これは普通に働いていても使えます!

で、どんな支援をしてくれるの?という話ですが…
普通健康保険で通院をすると、医療費は3割負担ですよね。
しかーし!この「自立支援医療制度」の申請をすれば、
申請書に記載した精神病院と薬局の医療費が1/3になるのです!!神か。

また、所得によっては、負担上限月額が設定されていて、
1割負担かつ月に最大2,500円の医療費で済む、という場合もあります。
前年度の所得・納税額によってMAXが変わる仕組みです。

申請の窓口等は各自治体によって異なる様ですが、
市役所や福祉センターが主な窓口になっているようです。
必要書類を確認&入手したら、かかりつけ医に所定の診断書を書いてもらい、
自分で記入した申請書と保険証、診断書を窓口に提出します。

私の場合窓口で即日受領され、書類提出日当日から1割負担になりました。
傷病手当金の請求書も保険診療内(※診断書は自費)なので、かなりお得感。
ただし、申請書に記載した精神病院と薬局でしか発動できないので注意です。
また、有効期間は1年なので、必要であれば期限が切れる前に延長申請を。

私はニートになってからこの制度を知ったのですが、もっと早く教えて欲しかった…
ということで、今精神疾患と闘っている方に少しでも早く知って頂きたく、
また、経済的な意味で精神病院通いに抵抗がある方に安心して頂きたく、
今回は「自立支援医療制度」の紹介をしてみました。
20140513_neet
継続的に医療費がかかる精神疾患、これで経済的不安無く通院できるはず!

人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは、あまえです。
月曜日が憂鬱なのはニートでも同じです。罪悪感に駆られるからね。

ちょっとした事の重なりで、ダークサイドに堕ちていくあまえ。
でも、私には心から絶対に信じられるものが一つだけありました。

それはあまえが4歳の頃からずっと一緒にいた「バイオリン」です。
物心ついた時には、食事や睡眠と同じように練習するのが当たり前になっていて、
上手く行かない事があって心が折れかけた時も、受験勉強に追われていた時も、
弾けるようにならない所があって泣きたくなっても、辞められなかった。
知らないうちにアイデンティティになっていて、内側から私を支えてくれていた。

あまえがダークサイドに堕ちかけていた2012年9月、
ブラームス作曲「交響曲 第3番」の演奏会を目前にしていました。
彼の交響曲って陰鬱で重厚すぎてしつこくて、正直嫌いでした。

でもその曲が、作曲家が持っていたものが、この時はじめて分かった気がします。
自分の無能感、隠せない周りへの懐疑、頭と心に重くこびりついてしまったもの。
上手く説明できないけれど、この曲を作った彼にも私と同じ想いがあったのかも?
そう思ってしまう位、曲と自分がシンクロしている感覚で涙を流したのは初めてでした。
(おかげでこの曲、聴いちゃいけないリスト入りしてますけどね、確実に泣くから。)

このとき初めてあまえは、こう思います。
「私病気になってよかった。今まで分からなかったものに近付いた気がする。」

挫折を知らないバリキャリなあまえは、きっとすごく浅い所で生きていました。
うつ病になって本当の絶望を味わったあまえは、人間的な深みを知った気がします。
そして絶望して終わりではないことが、あまえにとって心からの救いでした。

この経験が、幼い頃から何も言わず側にいてくれたものに還元できる事に気付いたから。
楽器と音楽と自分は、絶対に、お互い、嘘をつけない。嘘や偽りは存在できない関係。
逆に言えば、自分が真剣に付き合いさえすれば、楽器と音楽は必ず応えてくれる。
20140512_neet
絶対に裏切る事のないあなたに、私の苦渋を生かしてあげたい。

人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ